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No.4607
吾妻山・五色温泉
山行種別 山スキー
あづまやま・ごしきおんせん 地形図

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山行期間 2012年3月11日(日)
コースタイム 福島(6:30)=除雪ゲート前(7:10,7:24)→スカイライン横断(8:27)→水飲場(8:41)→山鳥山(9:37,9:48)→井戸溝(10:17)→慶応吾妻山荘分岐(10:41,10:45)→大根森(11:14)→五色沼・大岩(11:40)→ガンチャン落とし上部(11:57,12:15)→家形山避難小屋(12:27,12:48)→東海大緑樹山荘(14:52,14:58)→四郎右ェ門沢横断(16:20)→1077mとのコル(18:14)→五色温泉(20:07)
写真 写真は拡大して見ることが出来ます
通行止めチェーンの先へ除雪作業が進んでいる スカイライン横断地点 山鳥山よりうっすらと見える家形山
山鳥山よりうっすらと見える家形山 慶応吾妻山荘の分岐 大根森の登り
五色沼の大岩 家形山 滑降準備にかかる
新雪の下はガリガリのバーン 滑ればあっという間のガンチャン落とし 雪に埋もれた家形山避難小屋
口を開けている小沢もあり気を抜けない  口を開けている小沢もあり気を抜けない この黄色のプレートは福島登高会で付けたもの
雪に閉じこめられた東海大学緑樹山荘 四郎右ェ門沢を挟んで高倉山を望む
ルート

行動記録
 吾妻連峰には多くの山スキールートが存在する。日本の山スキーの草創期といえる1920年代後半から、東京の大学山岳部などが五色温泉を拠点にし、ツアーを行うようになったのだという。しかし、以前はもてはやされたルートであっても、時代の移り変わりと共にほとんど使われなくなり、もはや完全に失われてしまったルートもある。今では五色温泉からツアーをしようなどという人は皆無だろう。なお、五色温泉は古い温泉であり華やかな時代もあったようで、その歴史を調べてみると興味深い。五色温泉から家形山へは登山道が延びているが、スキールートは登山道をある程度なぞりながらも、随所にスキーなりの線形となっていたようだ。家形山の東側には「ガンチャン落とし」という斜面があり、その名称に興味が湧き一昨年から滑ってみたいと思っていたのだが、クラシックルートを知ったことにより、どうせならガンチャン落としから五色温泉まで下りてみようと考えた。ネットで探しても近年このルートに踏み込んだ記録は、我が会の2009年の記録のほかには1件しか見あたらなかった。ネットに記録がすべてアップされるわけではないが、いずれにしても訪れる人は極端に少ないのだろうと思われた。そんなルートなので、事前調査のつもりもあり昨年11月に登山道を歩いてみたが、登山道でさえ自然に還りつつあるような状態だった。2009年にこのルートを下りたIさんにこの計画を話していたところ、付き合ってもらえることになり11日の計画となった。これでルートの不安は解決されたと大船に乗ったような気になっていたところ、急ににさんが病気で行けなくなりSさんと自分の2名パーティーとなってしまった。Iさんから2009年のGPSデータはもらったが、山の状態は行ってみなければわからない。家形山から五色温泉まで7km以上にもなるルートを下り始め、家形避難小屋を過ぎれば、何かあったとしてもエスケープルートは無いのだ。救いは今日の天気予報が晴れで、風も穏やかということ。天候が原因で足が止められる心配は無さそうだ。よし大丈夫だろうと自宅を出たが、その時は今日のツアーが困難なものになるとは想像もしていなかった。
 福島市内でSさんを乗せると高湯温泉を目指す。今日参加出来なくなったIさんだが、五色温泉で下山を待ち高湯まで送ってくれるという。お陰で五色温泉に車をデポしておく手間が省け、大変有り難いことだ。市街地を外れると、昨夜から今朝にかけて降った雪が路面を覆い始める。高湯温泉から上は雪が深くなるが、なんとか除雪終了点のゲートに到着。ゲートの先に延びている磐梯吾妻スカイラインは、4月8日開通に向け今シーズンの除雪が始まったようだが、日曜の今日は作業も休みだ。ゲート前で車を回し路肩に寄せて止める。準備をしながら見上げる空は真っ青で雲ひとつ無く、木々の枝に積もった雪がきらきらと輝いている。いつもどおり登山道沿いに登り始める。今日は我々が一番乗りのようだ。昨日のものと思われるトレースは、スノーシューのものだけ。それでもトレースが無いよりましで、軽いラッセルで標高を上げていく。新雪のふんわりと乾いた軽い雪に、何か心弾みうきうきしてくる。初めの数百mはSさんトップだが、交代してもらい少しは若い自分がラッセルを引き受ける。今日はかなりの長丁場なので、意識的にペースを遅くする。途中でバテるわけにはいかないのだ。スタート時に忘れたビーコンチェックのため立ち止まったくらいで、ほとんど休まずスカイラインの横断箇所まで登る。続いていたスノーシューのトレースだがここで途絶える。一息入れてSさんが放射線測定をする。
 スカイラインから上はノントレースとなる。雪も深くなり15〜20センチ程度のラッセルとなるが、軽い雪なのでこのまま続けられそうだ。すっかり雪に埋もれた水飲み場の小沢も過ぎ、べた打ちされている緑布を目印に歩く。この緑布は慶応吾妻山荘の大柿さんが毎年付け直しているもので、ルートを誤る心配がないのでなんとも有り難い。正面に家形山が見えてくる山鳥山で、また一息入れ放射線測定。雪で橋が埋まっている井戸溝を過ぎ、登りをひと頑張りすると慶応吾妻山荘の分岐だ。昨日から泊まり客が無いらしく、山荘の案内板には定休日との看板。新雪ラッセルはあるものの、ここまで計画通りの時間で登っていることを確認する。このまま五色沼まで一気に行くことにする。
 山荘分岐からもノントレースだが、ラッセルの深さはそれほど変わらない。急斜面をトラバースして登り上げると大根森だ。ここはいつ来ても風で雪が飛ばされ地面が見えているのだが、今日はほとんど雪で覆われている。眼下にはこれから下るクラシックルートの樹海が見えている。急斜面をジグを切りながらもうひと登り、尾根に出ると家形山が間近に見えた。五色沼の大岩到着は計画より20分早かった。ラッセルがなければずっと早く着けただろう。ガンチャン落としは、ここと家形山の間のコルの北斜面のことだ。コルまで何とか雪がつながっていたのでスキーで下る。無線でIさんに予定どおりであることを伝える。見上げる家形山の北東斜面はべっとりと雪が付き、滑れば楽しそうにも思えるが、この斜面は過去に雪崩で何人も亡くなっているところ。近くにはその遭難碑がある。さらにこれから向かう家形山避難小屋は、以前は家形ヒュッテという2階建ての立派な小屋があったところで、家形ヒュッテは数度の雪崩の結果、結局取り壊され現在の避難小屋が後年建てられたのだという。だから今でも家形山避難小屋のことを、家形ヒュッテと呼ぶ人は多い。家形山北東斜面とガンチャン落としはそんな斜面なのだ。
 Sさんがガンチャン落としの斜面を見て、今年は雪が多いせいか斜度が緩く見えるという。いつもなら滑り出しがもっと急だということらしい。見るとなるほど30度ほどの一定勾配で下の樹林帯まで続いている。しかも長さは思ったほどではない。斜面は固いバーンの上に、昨日からの新雪が薄く乗った状態。雪崩が怖いので雪質チェックの結果、現時点では安定していると思うが、余計な斜行はせずに直線的に滑ることにした。自分が最初に飛び込むが、数ターンしてバーンに引っかけ大転倒する。Sさんも同じようなところで転倒。雪質の変化についていけないとこうなる。あっという間に斜度のあるところは終わり、スキーを流すとすぐ家形避難小屋に着いた。到着は12時27分だが、計画では12時30分にしていたのでここまでは予定どおりだ。
 自分は家形山避難小屋に来るのは初めてだ。しかしネットで見たどの冬季画像よりも、深い雪に埋もれているように思う。今年は降雪の最盛期が1ヶ月遅れている感じなのでその影響か。天気も良いし風も穏やかとくれば、外でのランチタイムが楽しい。もっともパンと飲物程度なのだが。さていよいよツアールートをたどることにする。とはいっても辺りを見ただけでは、どこがルートなのか皆目わからない。頼りは地図とGPS、そして3年前に一度だけ下ったSさんの記憶。何度もこのルートを下ったIさんでさえ、3年前のラインはかなりロスがあったという。そのことを踏まえての推奨ルートをIさんが教えてくれたので、地図とGPSに入れてきたのだ。それによると家形山避難小屋からしばらくは登山道をたどらず、もっと左へ進路を振るのだという。そのつもりではいたのだが、地形図からはわからないうねりや小沢が多く、それらを右に左に避けているうちに、結局登山道の辺りを通ることになってしまう。それどころか思いこみから急斜面を降りてしまい、沢筋に入り込んでしまった。ルートミスと思ったが時既に遅し。スキーで登り返すのはもはや無理。ツボ足で登り返すくらいならと、そのまま沢の左岸をトラバースすることにした。
 沢に降りたらという考えもあるが、沢床はどこで口を開けているかわからない(事実下流で口を開けた箇所があった)し、再度斜面を登り返すのに適当な取り付き箇所が見つかるかどうかもわからない。左岸の斜度がかなりきつい。もしスキーのエッジを外せば、そのまま沢床まで落ちるだろう。我慢して慎重にトラバースを続け、斜度が緩くなったところで上に登るつもりだった。ところが前方に、さらに急なルンゼ状の斜面があらわれる。これはとても越えられそうにない。もはやトラバースを断念し、その場からツボ足で直登するしか方法がなくなった。雪の斜面に足場を作りスキーを外す。ところがSさんが、スキーを外しているうちに1本流してしまった。幸い数メートル下の木で止まったが、そうでなければ15mほど下の沢床まで落ちてしまっただろう。こちらはSさんの数m上で成り行きを見守っていた。Sさんがスキーを拾うため体を動かしたと思ったら、「あー」という声を発してSさんが滑り落ちていきすぐ姿が見えなくなった。思わず「Sさん!」と叫んだ自分の声が雪山に吸い込まれていった…
 呼びかけた声に反応がない。正直焦った。再度呼ぶとやっと声が返ってきた。大丈夫か確認すると、ケガもなく穴にも落ちなかったようだ。ホッと胸をなで下ろす。ケガをしていたらなどど、いろいろなことが脳裏をよぎったがともかくひと安心。Sさんがスキー1本を持ち、キックステップで登り返してくる。こちらはスキー3本を持ち先行して登る。勾配が緩くなったところでひと息つき、Iさんに無線で状況報告をする。さらに上へと登山道の辺りまで登る。沢からだと100m近く上がったのでSさんはキツかっただろう。登り上げて一息つくと時刻は14時25分。このルートミスで1時間近くロスしてしまったようだ。しかし、計画にはかなり余裕を持たせていた(と思っていた)ので、この後にミスしなければ大丈夫だろうと、まだこの時は考えていた。しかしその考えは甘かったことを、やがて思い知ることになる。
 100mほど斜面を北へトラバースしてから、右へ90度近く転進し斜面なりに滑る。この斜面はほどよい斜度で、重い雪でもそこそこスキーは走ってくれた。ところどころに古いツアー標識らしいものが見つかる。しかし、それらの標識は欠落しているようで疎らなので、次もあるだろうと当てにして進むのは危険だ。東海大学緑樹山荘(旧青木小屋)を探すが見あたらない。おかしいなと思ったら、やっと黒っぽい壁が見えた。大雪で建物は一部しか見えなくなっていたのだ。ちなみにこの山荘は大学専用であり鍵がかかっているので、避難小屋としては使えない。やれやれと休憩し時計を確認すると14時52分。予定では13時30分だが、この時刻でこの遅れはかなり厳しい。地形図を見ても、五色温泉はまだまだ先だ。ガンチャン落とし〜五色温泉の行程のまだ3分の1しか来ていない。明日は仕事なので、遅れればビバークもたまにはいいさというわけにはいかないのだ。さあ先を急ごう。
 緑樹山荘からは左の沢を越え、とにかくトラバースに継ぐトラバースだ。気を抜いて斜面にまかせて滑ってしまうとたちまちルートより下がってしまう。地形図ではわずかに高度を下げる方向に進んでいるようでも、実際はほぼ平坦時々登りという感じだ。今日のように重い新雪ではかなり足にくる。疲れてくるとつい自分に甘くなり滑りたくなってしまうが、それはぐっと我慢の子だ。ずっとトップでラッセルし雪を踏み続けているが、まだ足は大丈夫だ闘えるぞ!と自分に気合いを入れる。やがて明瞭な沢が現れ階段登高で左岸を越える15時21分。この沢は蟹ヶ沢の上流支沢で、福島と山形の県境となっている。沢を越えさらにトラバースし続け何本かの小沢を越える。後で確認すると、ここは1kmで標高差50mしかなかった。やがて前方に高倉山とそれに連なる尾根が見えてきた。既に日は傾き、高倉山の左肩向こうに落ちようとしている。いったん四郎右ェ門沢に下りてから対岸を登り返すと、にわかにガスがかかってきた。辺りは白くそして少し暗くなってきた。林道を100mほど下りたところで左に入り、登山道沿いに歩く。ここは昨年歩いているのでわかっているが、そうでなければかなり分かり難いところ。林道を下りすぎるとルートに戻るのが困難になってしまう。とはいってもスキーにシール、地形図にコンパスと時間、そして体力があれば、五色温泉までは様々なルートを取ることが可能だ。無数のラインの中から、より効率的なラインがルートとして固定されただけのことだ。山スキーの魅力は、白いカンバスに自分なりのラインを描けることにもある。高倉山へは慶応ルート、立教ルートという、大学山岳部華やかりし頃のルートがあったらしいが、それも彼らがそこを歩きそう名付けたからのこと。自分もいつかどこかの山に自分なりのルートを拓きたいものだ。
 片斜面を高度を落とさないようにトラバースを続ける。締まった雪ならそれでも滑ることができるのだが、今日の雪では浅いとはいえラッセルが続き、スキーは滑る道具ではなく歩く道具となりきっている。山スキーが今ほど滑降重視ではなく、登山形態のひとつとしての山スキーであった時代ならではのルートといえるのだろう。たまに見かける古いツアー標識が往時を偲ばせるが、この標識はいったい何十年前のものなのだろうか。そんなことを考えながらも、薄暗くなりゆく山中でこの先のヘッデン行動を覚悟していた。五色温泉に下りるには、1077ピーク南西のコル手前を少し登って越えてから下るようになる。ここで2009年の山行ではシール登高したようだが、シールを貼る手間をきらい等高線沿いに左回りに回り込もうとした。ところが重い雪になかなか回り込めず高度を上げられない。結局疲れてシールを付けるしかなくなり、ついでにヘッデンも点けることにした17時50分。再び歩きだしたものの、シールで容易に登れることもあり、つい左回りに登り始めてしまった。それまで片斜面を常に右に下がらないよう、左へ左へと意識して歩いてきたことが影響したように思う。あれ?おかしいなと思いGPSで確認すると軌跡が輪を描いている。これはどうしたことかと一瞬頭が混乱したが、落ち着いて考えると、リングワンダリングをやってしまったことに気付く。これには疲れているところさらにガックリと疲れた。ここで約20分のロスとなってしまった。気を取り直し方向修正。
 暗い中ぼんやりと見えるコルへ向かうと、10分とかからずコルの頂部に到着18時14分。ここから五色温泉までは残り約1kmしかなく、平均斜度15度の快適な滑りができるはずだった。しかし、辺りは既に真っ暗でヘッデンだけが頼り。小さな照射範囲ではおそるおそる滑るしかない。シールを付けたまま下りることにする。方向はわかっても、うねりや小沢を越えるのに時間がかかる。あと少しなのだが思うように進めないのがもどかしい。途中でSさんのシールトラブルも発生するなど難儀する。林道とおぼしきところまで下り、30分ほど歩いてようやく、暗闇の中に浮かぶ宿の明かりが見えたときは本当にホッとした。やれやれやっと到着したと時計を見ると20時07分。宿のご主人だろうか、こんな時間にヘッデンを点けて突然現れた我々に、どうしたのかと声をかけてくれたので、ツアーコースを下ってきたのだと答える。宿の前ではIさんが待ってくれていた。長時間の待機にさせてしまい申し訳なかったと同時に感謝感謝である。1077mとのコルからは条件が良ければ、15分ほどで五色温泉まで下りられると思うが、今日はなんと2時間近くもかかってしまったことになる。
 今回の山スキーは様々な反省点がある。一番はルートファインディングの問題。地形図とGPSがありながら簡単にルートを外してしまった。次にシールを付けるタイミングが上手く計れていないこと。もっと早く付けていればと思うことが何度かあった。いずれにしても自分はまだまだ未熟であるということだ。1077mとのコルまでにルートミスなどで失った時間は約1時間20分。ルートミスがなければ、1077mとのコルを17時頃通過できた可能性が高い。そうすればまだ明るいうちに五色温泉まで下りられただろう。それでもギリギリではあるのだが。2009年にIさん達が下ったときはどうだろう。家形山避難小屋を出てから五色温泉まで3時間45分かかっている。しかも記録では45分ほどロスしているとある。つまりベストのルートで下りられれば3時間で下りることも可能らしい。しかし我々は7時間19分かかった。ルートミスと夜間行動で失った時間を約3時間とすれば、ベストのルートを取ったとしても4時間以上はかかったことになる。やはりスキーが走らなかった影響は大きい。なにはともあれ、今日中に無事帰還出来たことを素直に喜ぼう。汗が冷えて寒くなった体を車のヒーターで温めながら帰宅したのは午後10時半だった。

=後日の回想=
 ひとり静かに回想の波間を漂っている。今回このクラシックルートをどことなく「滑る」イメージで臨んだのは誤りだったかもしれない。このルートはまさしく正統な山スキーの「ツアールート」なのだ。冬山登山のひとつの形態であり、スキーを利用して縦走するのがこのルートの本来のあり方なのだ。五色温泉を出発点にしてこのルートを登っていけば、緩斜面も楽しい縦走路というわけだ。もちろん今回のように下るのもひとつのやり方だが、雪の状態とルートファインディングに注意しなければ、距離があるだけに我々のように思わぬ時間がかかることもあるだろう。しかし、条件が悪くなければ中級ルートと言えるのかもしれない。この原稿を読んで行きたいと思う人とそうでない人、様々だろうができれば是非自分で歩いてもらいたいと思う。ネットで情報のあふれた定番のルートはいくらでもあるが、歴史のあるクラシックルートにはそのルートならではの感動があるはずだからだ。そんなこんなをつらつら考えていると、もう1世紀近くになろうという昔にこのルートを歩いていた人達の姿が、見たはずもないのにありありとイメージされ浮かんでくるのである。当時の人達と今の我々を重ね合わせるのはおこがましいが、彼と我の見る山の姿はほとんど変わっていないだろう。変わったのは人であり時代だ。まして昨年は大震災と原発事故という未曾有の出来事があった。しかし山は、特に福島の山々は、ただそこに在り静かにたたずんでいる。人の営みがいかに小さいか、そして時には恐ろしく愚かだということを山は静かに語りかけてくれる。我々は謙虚に生きることの大切さを、山から学ぶこともできるはずだ。(K.K)

トラック 登り=赤 下り=青


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