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No6408
中津川
吾妻山 長瀬川流域
山行種別    無雪期沢登り
なかつがわ 地形図

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山行期間 2020年10月18日(日)〜19日(月)
コースタイム
10月18日
中津川レストハウス(9:04)→登山口(9:49)→吾妻山神社(12:30,13:40)→権現沢(13:47)→中津川出合(15:12)→神楽滝(15:20)→神楽滝高巻き(15:27〜16:02)→夫婦滝(16:03)→静滝(16:11)→熊落滝(16:35)→テン場(16:43)
10月19日
テン場(7:00)→高巻き開始(7:02)→不忘滝観瀑(7:58〜8:22)→中津川(不忘滝落ち口()8:35,8:50)→筋滝(9:09)→朱滝(10:33)→高巻き(10:54〜11:35)→ヤケノママ(12:20,12:32)→二俣(13:03)→尾根乗越地点(14:25)→大倉川出合(15:19)→登山道(15:53)→谷地平避難小屋(16:24)→姥ヶ原分岐(17:33)→兎平駐車場(18:24)
写真 写真は拡大して見ることが出来ます
昭和8年発行(明治41年測図 昭和6年修正)の大日本帝国陸地測量部の地図 快晴の中津川レストハウス 集落跡の道を辿る
吾妻山神社登山口 カラ松林の登り 落葉したダケカンバ
吾妻山神社奥の院 相方が追いついた 権現沢を下降する
8m滝は左岸を下降 5m滝 4m滝
8m滝 大岩が重なる 15m滝
左岸を巻き下る 出合からの権現滝 中津川を遡行する
出合からすぐ上流に神楽滝 神楽滝40m 小尾根から巻き上がる
夫婦滝10m 静滝10m 熊落滝15m
焚火で焼き肉 朝のテン場 朝食をすませる
右岸斜面に取りつく 急斜面の弱点を探して高巻く 岩根をトラバースする
滝の見えるポイントまで下降する 崖の縁までロープ下降 不忘滝全景
滝壺を覗き込む 中津川に降りて不忘滝へ戻る 不忘滝の落ち口
見ているほうが緊張する 正面に見える右岸で滝見したポイント 5m滝
右岸にかかる枝沢の滝 50m以上の右岸枝沢滝 筋滝8m
空身で直登する相方 6m滝 左岸にある石橋
朱滝が見えてきた 高さ60mとされている 高巻いて落ち口のすぐ上に降りる
穏やかな流れになる ヤケノママ 崩壊地
二俣を右の支沢へ 緩い流れが続く 6m滝
尾根乗り越し地点のヤブ すぐ沢形が現れる 4m滝を下降
階段状20m斜滝を下降 大倉川に出合う 大倉川も緩やかな流れ
登山道に上がった 谷地平 谷地平避難小屋
谷地平から周囲を見渡す
樹林帯の登りで日が暮れる 姥ヶ原 浄土平へ下る

行動記録
 8月に中津川を遡行した。雨と増水で苦労したこともあり、ある意味達成感と充実感のある遡行であった。しかしやり残した感もまたあった。滝の高巻きでのルートファインディングミスと見ることが出来なかった滝があったことによる。そのような訳で秋には中津川を再訪したいと考えたのだ。しかし2泊3日の沢登りに付き合ってくれるパートナーは簡単には見つからない。1泊2日でも遡行は可能だが日の短い秋は行動時間的に厳しい。頑張って何とかできる年齢でもないので少しでもアクシデントがあれば結局3日間になってしまう。そこで大滝の連なる中流域だけを2日間で遡行することを思いついた。
 地形図には中津川と距離を置いて並行するように中吾妻山の西側に道が付いている。その道は山頂に向かうことなく吾妻山神社で終わっている。調べると昔この道は中津川にあるヤケノママを経てさらには稜線まで抜けていたようだが、現在は吾妻山神社から先は廃道になっている。この道を利用して吾妻山神社から権現沢を下降すれば、比較的容易に中津川の中流部に入ることができそうだ。福島登高会では1980年に権現沢を遡行した記録があり、その記録によると下降は比較的容易に思われた。中流部からはそのまま上流そして源頭から稜線の登山道へと抜けてもよいのだが地形図を見ていてふと思った。中津川の支沢を遡行して東大巓の南尾根を乗り越し、反対側の沢を下降すれば大倉川に合わせることができるだろう。大倉川のすぐ脇にある登山道に上がれば谷地平を経て浄土平に至ることができる。これなら1泊2日で十分可能のように思えた。調べてみると昔は谷地平からヤケノママに道が通じていたようで、沢の遡下降ではないにしても尾根の乗り越し自体は昔からあったということが分かった。さらには滝を見るためや修険道の探求ということで、吾妻山神社からヤブを漕いで中津川に至っている複数の記録も見つかった。自分が考える程度のことは既に気づいて実際に行った先人がいるということだ。ただし今回のような支沢の遡下降による中津川中流部の遡行は見当たらない。実行すべく検討を重ね、中吾妻山神社までの道は9月19日に歩いて問題ないことを確認した。権現沢や枝沢の遡下降は情報もないのでぶっつけ本番である。相方を募集したが手を上げたのは大○さんだけだった。彼女なら体力技術ともに十分以上だろう。お互い都合の合う10月11日12日で計画したが天候不良によりあえなく延期となった。次の実行日は18日19日としたが季節的にもラストチャンスとなるだろう。ただし少し問題があり大○さんが18日は夜勤明けでどうしても出発が遅くなってしまう。やむを得ず出発時間を遅らせさらに時間差で出発することにした。足の速い大○さんは後発で追いかけてもらい吾妻山神社までに合流する計画とした。何とかつじつまの合う計画にしたので、あとは天候が持つことを祈りつつ実行あるのみである。

10月18日
 下山地点の浄土平には兎平駐車場に車を置き、中津川レストハウスまでの移動は和○会長にサポートをお願いした。中津川レストハウスは秋の行楽日和の日曜日とあって朝から人が多い。支度をしてザックを背負うと9時過ぎに歩きだした。作業道を歩いて登山口までは45分ほど。唐松沢を渡ると登山道となり本格的な登りになる。装備を削ったつもりだが泊り装備のザックはやはり重い。カラマツ林に急斜面が2回ありブナとダケカンバの混交林となる。熊の糞があり途中で強い獣臭がしたので声を出しながら登っていく。晴れていたはずの天気もいつしか曇り空となり、標高を上げるとともに気温も下がってくる。出発から3時間26分で吾妻山神社に到着。昼食を取りながら相方を待つ。ところが座っていると寒くなってきたので相方を迎えに行くことにした。10分ほど登ったところで相方がやってきた。相方の出発予定は10時だったのだが結局10時40分の出発になってしまったのだという。それでもこの時間に登ってきたのだから驚くしかない。かなり飛ばして登ってきたようで私より40分ほど短縮しているだろう。相方にはここで沢装備にしてもらい吾妻山神社まで下りる。
 吾妻山神社から権現沢は踏み跡を追うとすぐである。権現沢は岩がゴロゴロとした沢だった。始めのうちは水量も少なく石伝いに下降していく。8m滝が現れ左岸を下降するがスリップしやすいので注意。右岸から枝沢がナメ滝で合わせ水量が増す。続く5m滝に4m滝8m滝といずれも容易に下降できる。大岩が重なり段差が大きくなってくると中津川に出合う権現滝15mである。左岸を少し登って巻き下ることにした。急斜面を灌木と笹につかまり下降する。釜へと降りると最後は手がかり乏しい斜面となった。この下降ラインはあまり良くなかったようだ。
 中津川との出合に15時11分着。予定より40分ほど遅れているが許容範囲だ。出合から神楽滝はすぐ近い。神楽滝は高さ40m。紅葉と滝の取り合わせは見事だ。8月の神楽滝の高巻きでは安易に左岸ルンゼから登ってしまい、かなりリスキーな登攀となりロープを出すなど余分な時間がかかってしまった。今回は下流に少し戻って権現沢との間にある小尾根から取り付くことにした。かなり急だが木があるので難しくはない。以前はあったという踏み跡は今は定かではなくなった。8月に難儀して登った岩が左に見えてくる。斜度が緩んだところで上流方向へと横移動し、頃合いを見て下降すると夫婦滝のすぐ下で沢に戻った。高巻きに要した時間は35分だった。夫婦滝は左壁にかなり古いクサリが下がっている。相方はフリーで登ったが自分はありがたくクサリを掴む。次の静滝は大滝の印象が強い中津川にあって比較的凡庸な滝と言える。8月は右岸巻きだったが今回は相方に任せると左岸から巻いた。さらに十数分遡行すると熊落滝が見えてきた。まずはテン場を物色する。熊落滝の100mほど手前で右岸の一段高い場所に小さな平場を見つけてザックを下した。すぐ下で焚火もしやすい好立地である。さて上流へと近づいて熊落滝との再開だ。8月は近づくのもためらわれる勢いで水を落としていたが今日は穏やかな表情である。薄暗くなってきたのでテン場に戻り焚き火にツェルト張りと夕餉の準備。自分は必要最小限の食料しか持ってこなかったが、相方のザックからは焼き肉やらなにやら様々な食材が出てくる。焚き火で焼いた肉はすこぶる美味い。すっかりご馳走になった。焚き火があると話も弾み21時半過ぎにツェルトに入った。

10月19日
 5時起床。もっと早く起きたかったが時期的に朝が辛くなってきた。焚き火を起こし朝食をとる。晴れを期待したが曇り空だ。計画より1時間遅れの7時に行動開始。熊落滝そして沢が右へ屈曲しているせいで下からは見えない不忘滝を高巻く。中津川の昔の登山道は左岸についていたようで現在は道形も定かではないが、沢登りの記録でも左岸を高巻いている記録ばかりである。テン場から右岸を観察しながら下流へ歩いていく。100mほど下ったところで不忘滝から続く右岸岩壁が切れているように見えたので登ることにした。やや急斜面だが難しくはない。下流側の小尾根状へトラバースぎみに乗るとさらに登っていく。急斜面の弱点を探しながら登っていく感じだ。傾斜が強くなりそろそろ高度は十分なはずと思い右へ回り込む。ルンゼというか沢筋があり、その先は岩壁と急斜面の境目で上流へと続いている。これは不忘滝側壁の上にある急斜面と岩壁であろうと思われたので、その境目をトラバースしていくことにした。沢筋を横断し岩根(岩壁の根元の部分)をたどるがヤブが薄い土の斜面なので歩きやすい。岩根は途中で上下した後に開けて下方に不忘滝上部が見えてきた。不忘滝正面の垂壁上の斜面に出たようだ。斜面下端は絶壁の縁で切れ落ちているのだろう。
 不忘滝は特異な形状をしている。直瀑で高さは記録により40mとも60mともされているが実際は40mほどだろう。円形の釜はほぼ垂直な最大高さ60mほどの絶壁により囲まれている。その絶壁が開けている方向にあるのが熊落滝であり、円形のその他4分の3は不忘滝と垂壁により囲まれているのだ。中津川は不忘滝の釜で90度屈曲し熊落滝で落ちるため、下流からは不忘滝の姿を見ることができないのだ。熊落滝を登れば見ることはかなうが垂直の側壁がそれを困難なものにしている。
 立ち木に支点を取りロープを使って縁まで降りてみる。不忘滝の全景が眼前になった。見事な直瀑で轟々と水を落としている。これを見たかったのだ。釜をのぞき込むと高度感が凄い。ここからの熊落滝は高さのある滝には見えない。しばし鑑賞してから相方と交替する。不忘滝観瀑で30分近く滞在したのち高巻き後半に移る。さほど急でもない斜面の斜め下方へのトラバースなので容易だ。中津川に復帰すると不忘滝の落ち口へ行って突き出した岩の上に立ってみた。正面には先ほど縁まで下降した絶壁である。凄いところに来たものだとあらためて思う。これまで様々な滝を見てきたがこのような形状の滝は初めだ。この自然の造形には感嘆するしかない。自分の足でここまで来なければ決して見ることのできない景色である。
 しばしの鑑賞後遡行を再開する。5m滝を左岸から越えるとやがて右岸に3本の高さのある筋状の滝が見えてくる。奥の2本は大きな釜に落ちており本流は右に屈曲して筋滝8mがかかる。8月は朱滝の高巻きでこの筋滝も一緒に巻いてしまったので見るのは今回が初めてとなる。筋滝は左岸からの高巻きは容易なようだが右壁が直登できそうだ。相方に空身でトライしてもらうとやや被り気味の個所を上手くクリアして登った。セカンドの自分は楽させてもらう。6m滝を越えると左岸に見覚えのある石橋があった。8月はこの石橋の手前まで巻いたようでかなりの大高巻きだったことが分かる。その後しばらくは滝も無く沢歩きが続くとやがて朱滝が見えてきた。
 朱滝の高巻きは200mほど戻って左岸の小尾根に取付く。8月は小尾根脇のルンゼを登り途中で小尾根へ移ったが、今回は初めから小尾根を登ることにした。かなり急だが灌木があり難しくはない。上部でやや難しくなるが手がかりはあるので問題はない。斜度が緩み平坦になったら上流へとトラバースする。滝の音が真横に聞こえてきたら下降を始めて沢に降りたつ。所要時間は小尾根に取付いてから約40分だった。朱滝の上流にはもはや滝らしい滝は出てこない。やがて右岸にヤケノママの白茶けた斜面が見えてきた。8月は通過しただけなので今回はじっくり見ることにする。右岸を登ってみると平坦な窪地があり蒸気らしき噴気孔や泥が噴き出したような跡があった。オンドルのように地面が温かい部分もあり、ヤケノママという名称はそこから来ているように思われた。その昔ヤケノママには営林署の小屋があり、稜線からヤケノママそして吾妻山神社へと道が続いていたらしい。
 ヤケノママから900mほど上流で左岸から支沢が合わせる二俣になる。支沢に入ると地形図から予測した通り緩やかな流れが続く。途中に6m滝があったが容易に越える。出合から1時間ほど遡行すると沢は左へ緩やかに方向を変える。東大巓へと向かう沢から離れて右手のヤブに入り尾根を目指す。ヤブはそれほど濃くないので漕ぎやすいが平坦なので方向を定めにくい。GPSを見ると少し南に曲がっていたので修正すると下り加減になり尾根を乗り越したことが分かる。下っていくとすぐ沢形になり水流も出てきた。登山道並みに歩きやすいので順調に下降できる。途中で4m滝と階段状の20m斜滝があったがどちらも容易だ。下降向きの沢といえるだろう。尾根から下降を始めて1時間弱で大倉川に出合った。時刻は既に15時をかなり過ぎている。ヘッデン行動が濃厚となった。
 大倉川は緩やかな流れで滝らしい滝もなく下降は容易だ。しばらく大倉川を下り登山道が左岸に近づいたと思われる辺りで左岸に上がる。ヤブをひと漕ぎするとすぐ登山道が現れた。あとは登山道を歩くのみだが距離はまだまだある。草紅葉の谷地平湿原の木道を急ぐ。谷地平避難小屋を経由して登りになると樹林帯へと入る。ふと気づいて振り返ると夕焼けだった。徐々に空は照度を落とし風景は色を失っていく。姥ヶ原へは200m以上の登りになる。急ぎ足にすると平坦地では何とかだが登りになると相方には全くついていけない。軽量級の体であの重いザックなのにとにかく登りが軽快で速い。親子ほどの年齢差をしみじみ感じながら後を追う。途中でついにヘッデンを点ける。暗い森の登りがやっと終わると笹原となり姥ヶ原の分岐を右へ折れる。木道を歩いていくと福島市街地の明かりが見えてきた。気温が下がり急ぎ足だが汗もかかない。闇を通してゴーと低く一切経山の噴気の音が聞こえてくる。浄土平へと下り兎平駐車場には18時 分到着。今回の中津川再訪も無事終了である。デポしておいた車で中津川レストハウスに移動し解散した。

※吾妻山と中津川について
 古い地形図には吾妻山神社からヤケノママを経由して稜線に抜ける道が記されている。現在は吾妻山神社から先は廃道になっていて地形図からも消されている。稜線の登山道にはヤケノママへの分岐がまだ残っているが途中で道は消えてしまう。しばらく前にネットで見つけたのだが、吾妻山の修行の道を探訪している人がいて吾妻山神社からヤブを漕いで中津川に降りている記録がある。興味深く読んで中津川へのアプローチの一手法として記憶に残っていた。
 今回その記録も含めてあらためて調べてみると、朱滝や不忘滝を見るために同じようにヤブを漕いで中津川に入った人たちがいることが分かった。その中の記録のひとつに右岸を高巻いて不忘滝を見たものがあり今回の参考とさせてもらった。さらに調べてみると滝愛好家ともいえるような人たちの中には、沢登りの中級者以上が行くような沢を遡行している記録もあるではないか。その人たちとしてはあくまでも滝を見るための遡行であり沢登りではないのだろう。しかし、もはや沢屋と何ら変わりのない沢登りをしていることには驚いた。世の中いろんな人がいるものである。
 またしばらく前の登山地図には中津川と谷地平間の登山道として、今回の沢より南にある出合がヤケノママに近い沢を使うルートが記されていた。いつ頃に廃道になったのかは分からないが現在は跡形もなくなりもちろん地図にも無い。今回の計画では当初そのルートも検討した。昔から道の無い山に登るときには沢が使われることが多かった。もちろん滝のあるなしにもよるのだが、高巻きがそれほど困難でなければ沢の方が合理的でありそれが現在の沢登りにも繋がっている。今回の中津川から大倉川へのルートも記録が無いだけで先人が歩いていないはずはない。権現沢の下降もまたしかりだと思う。吾妻山と人のかかわる歴史は古く、その時代時代で道ができてそして消えていったのだろう。現在は消えてしまった道もいずれまた誰かが開くのかもしれない。(熊)

.ルート図 1日目=赤 2日目=青
電子地形図(タイル)(標準地図)を加工して作成

トラック 登り=赤 下り=青

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