カクナラ沢は朝日連峰南端に位置する祝瓶山の沢である。祝瓶山は1,417mという標高からは想像できないほど峻険でピラミダルな姿をした遠方からもそれと分かる山である。特に東面は長年にわたり雪に削られ形づくられた急峻な雪蝕地形となっていて東北のマッターホルンとも呼ばれている。自分は祝瓶山の沢をこれまでに6本の計8回遡行しているが、残っていたのがカクナラ沢だ。カクナラ沢は祝瓶山東面の沢であり、同じ東面のヌルミ沢とともに短い流程で大きな標高差を一気に流れ下っている。カクナラ沢を遡行したいと考え記録を探したがネット上の1本しか遡行記録を見つけることが出来なかった。カクナラ沢も先人により遡行されていると思われるが、記録が残されていなければその事実も確認しようがない。ネットにあった記録は比較的簡単に記述されていたが、難しい高巻きと滝の連続に3人パーティーで13時間を要しており、日帰りの沢としてはほぼリミットの所要時間になっていた。このため祝瓶山の沢の中では最も困難なことが予測された。いつかはカクナラ沢をと思ってはいたが、そのハードルの高さに踏ん切りがつかないでいたというのが本当のところだ。とはいえ自分が沢登りに費やせる時間と体力も先が見えてきた。昨年はタイミングを逸してしまったので今年こそはと考えていた。加えて少雪だった今年は雪渓の心配も減りチャンスと思われた。そんなことから8月末から9月上旬を遡行適期と考えて8月22日にカクナラ沢に向かった。ところが林道工事で通行止めを知らずに行ったためあえなく敗退。林道が通行可能となり相方の都合も付いた9月22日に再トライすることにした。遡行時間を考えると時期的にはギリギリといえる。今回の相方は登攀色の強い沢登りでは頼りになる千○君だ。パーティーを2人に絞ったのはリスクと時間の増大を避け、遡行スピードと成功確率を高めるためである。遡行計画書では11時間30分の行動時間とした。
長井ダムの竜神大橋近くの駐車場に午前4時集合とした。車中泊して目を覚ますと千○君も到着していた。自分の車に千○君を乗せると祝瓶山荘へと向かう。途中からは幅が狭くガードレールも無いくねくね道が木地山ダムまで続く。正直言って暗いうちはあまり通りたくない道だ。木地山ダムから未舗装の林道をしばらく走ると5時過ぎ祝瓶山荘に到着。駐車場に先客はなかったが準備をしていると1台やってきた。5時25分に歩き出す。野川にかかる吊橋は老朽化により通行止めとの情報だったが、やはり板が外され渡れないようになっていた。先ほどの車の単独男性が吊橋を見て悩んでいる様子。小国側から登ることを勧めると戻っていった。我々は沢に降りて渡渉し対岸で登山道に復帰した。しばらく歩いて桑住平分岐を過ぎてから道がカクナラ沢に近づいたところで沢に降りた。思ったより幅のある穏やかな平瀬だ。ほどなく左岸からアカハナ沢が出合うと沢は幅を狭める。
流木が目立ち始めるとさらに狭いゴルジュとなる。両手を広げれば届くほどの幅しかないところに流木が詰まっている。流木の上を乗り越えると沢は左へ屈曲して4m滝がかかる。滝を越えると沢は少し広がり左岸に枝沢を2つ見送るとまたゴルジュへと入っていく。手前に深い淵のある幅の狭い1mほどの落ち込みが現れた。滑らかで手掛かりが無いうえ水深があるので躊躇する。朝から首まで冷たい水に浸かるのを嫌い右岸から巻くことにした。ところが急斜面に追い上げられ15mほどの懸垂下降で沢に戻ったが思いのほか時間がかかってしまった。気を取り直して小滝を越えて行くと6m滝。千○君は水流左を登り自分も続くが落ち口がちょっと悪くてお助け紐をもらう。次々と小滝を越えて行くと沢はいったん開けてカクナラ尾根も見えた。5mの滝を2つ越え次の6m斜滝を千○君は難なく登る。自分は取り付きで1度落ちたが再トライで登る。その後も直登できる5m未満の滝が続く。
790mで左岸から枝沢を合わせると沢は左へ曲がりより深いV字谷となる。ここから滝の落差が大きくなってくるが両岸は草付きの急斜面で巻くのも容易ではない。少し左に傾いた縦溝状の10m滝は一見難しそうだが幅が狭いがゆえに比較的容易。続くナメ岩の6m斜滝8m斜滝と越えて行く。次の10m滝は直登できないので左岸から巻き始めるがやはり悪い。泥と草付きの急斜面を攀じ登るがとにかく滑る。落ち口へのトラバースをうかがうがリスクがあり過ぎて断念。灌木にぶら下がるようにしてさらに巻き上がると上にも登れない滝が見えてきた。10m滝の上にひとつかふたつ滝があり、さらにその上にかなり高さのある非常に急な滑り台のような滝があるようだが、一部しか見えないので全容がつかめない。いったん少し下降して見上げようとしたが結局よく見えなかった。懸垂下降して沢に下りたとしても滝は登れそうもなくこのまま一緒に高巻くしかないようだ。まったく気の抜けない巻きが続きやっと上の滝の落ち口近くで沢に降りることができた。約1時間の高巻きだったがGPSで確認すると70mほど高度を上げていた。下と上の滝の間に複数の滝があり上の滝が30m以上の高さがあったとすればそのくらいになるだろうか。だが本当のところはよく分からない。実態を掴むには懸垂下降で沢に降りるかドローンを持ってくるしかないだろう。
さらに次々と滝が続く。5mから8mの滝をいくつか越えると12m滝だ。水流右が登れると思い取り付いたが上部が厳しくもう一手が出ない。左岸の草付きから巻いた千○君にロープをもらう。彼には助けられてばかりだ。4m滝の先に上部がハングした15mほどの滝が現れた。その上にも滝があるようだが沢が少し左に曲がることもありほんの一部分しか見えない。もちろん直登はありえないので高巻きルートを探るが両岸とも険しく切り立っている。滝の左壁が登れそうに見えたのでトライするが思ったより厳しい。リスクのかなり高い登攀になりそうなので断念しクライムダウンした。4m滝の下まで戻り右岸の何とか登れそうな場所からロープを出して取り付いた。草付きで先ほどの岩壁よりましとはいえかなりの斜度である。灌木に手掛かりを求め滑る足元をだましだましロープを伸ばす。右手を見ると15m滝の上にすぐまた大きな滝があるようで灌木の間からも一部が見える。垣間見える側壁の状況からしても直登は無理だろう。一緒に巻くしかないだろうということで高度を上げることにする。灌木でどうしてもロープが屈曲するので25mでいったんピッチを切る。千○君に登ってきてもらうとそのままつるべで上にロープを伸ばしてもらう。2ピッチ目も25mで3ピッチ目は30mほどロープを伸ばして高度を上げる。登り始めから60m以上高度を稼いだだろうか。まったくの勘でしかないがそろそろこの辺だろうと思いトラバースして落ち口を目指すことにした。千○君に少し斜め下へとトラバースしてもらうと40mほどでコールが聞こえた。ロープがあるとはいえこのトラバースもかなりしょっぱくヒヤヒヤものだった。5mほどの滝と緩やかになった沢が見えてくると草付きとなり沢に戻ることができた。15m滝に着いたのが10時20分で巻き終わって沢に戻ったのが13時と、なんとトータル2時間40分を要したことになる。自分としてはあまり経験したことのない厳しい高巻きだった。少し休憩してから遡行を再開する。
沢の風景が変わり少し開けたV字谷の緩やかなゴーロになる。すぐ8mほどの滝が見えてきたが前後の両岸は露岩になっている。草付きとならないのは雪渓が遅くまで残るからだろう。右岸から巻いて越えるが岩がボロボロで緊張する。再び沢は斜度を増して狭角のV字谷になり滝に次ぐ滝をかけて駆け上がる。細い溝状の滝が増え体をねじ込みずり上がって登る。巻きは悪いので直登基本で越えていく。千○君のアクロバティックな登り方は見ている分にはいいのだが、いざ自分の番になるととてもマネできるものではない。リーチとバランスの差で今一手が出ずに何度も千○君のお助け紐のお世話になる。これまでお助け紐を出すことはあってももらうことはあまりなかった自分だが今回はそうも言っていられない。もはや時間をかけて自分の登り方にこだわっている余裕はなくロープも数回出してひたすら登っていく。まだ滝が続くのかとため息が出るようだが着実に高度が上がっているのが励みだ。
沢はさらに細くなるが水流は消えずに続く。斜度が少し緩やかになり上部の草付き帯が見えてきた。1,210mの二俣は山頂に近いと思われる左を登る。やがて水は涸れ少しヤブが被るようになるがすぐ抜けて辺りは草原となった。にわかにガスが流れてきて尾根は少しかすんでいる。山頂直下の立っている岩壁は避けることにして、山頂右手の尾根に続いている窪を辿る。滑りやすい草付きを登っていくと僅かなヤブ漕ぎで尾根の登山道に出た。山頂北側100mの地点だった。15時31分山頂を踏んで千○君とがっしり握手をする。これまで何度も登った山頂だが今回は特に感慨深い。計画より30分ほど遅れたが上出来といえる。もちろん他には誰もいない。ひと休みして沢装備を解いた。下を見るとちょうどガスが切れて遠く祝瓶山荘が見えた。ヌルミ尾根の下山は一般登山道とは思えないほど急峻である。特に山頂下はともすれば滑落しそうなほどであり気を抜けない。足も疲れているので時間は気になるが駆け下ることもできない。桑住平の分岐まで下るとだいぶ暗くなってきた。迫る夕闇に追われながら歩いて何とかヘッデンを点けずに午後5時56分駐車場に戻った。出発から12時間半の行動時間だった。
カクナラ沢は予想どおり祝瓶山の沢では最難関だったといえる。雪蝕地形が発達した深い谷の切れ込みと切り立った側壁が遡行難度を押し上げている。ここまで急峻になると見事というしかない。ゆえに高巻きは悪いのひと言につきる。できれば避けたいが滝が登れなければ可能な限り安全確保して巻くしかない。今回というかいつも沢靴は千○君がラバーで自分はフェルトを使っている。草付きではフェルトは滑りやすくラバーに分があった。フェルトはチェーンスパイクなど道具を工夫し対策したほうが良い。やっていなかった自分は何度か本当に「落ちる」と思ったほどだ。ラバーはヌメりのある岩には弱いが千○はタワシを2つ持つ周到さで対応していた。岩を磨けばバチ効きなのだという。そのとおり彼はシビアな直登を何度もやってくれた。距離は短いものの遡行時間はかなりかかるカクナラ沢だがビバーク適地はほぼ皆無といっていい。2〜3人の足並みがそろったパーティーにより日帰り軽装でトライすべきだろう。今回見ることが出来なかった滝がいくつもあるが、今後自分があらためて確認することは年齢的にも難しくなる。いずれ誰かが全容を明らかにしてくれることを期待したい。(熊)