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No.5658 |
滑谷沢右俣 |
栗子山系 摺上川流域烏川支流 |
山行種別 |
無雪期沢登り |
なめやざわみぎまた |
地形図 |
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工事現場前を通って林道へ |
二ツ小屋隧道 |
烏川橋下で入渓 |
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平瀬が続く |
滑谷沢に出合う |
穏やかな流れが続く |
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5mナメ滝・熊滝 |
平瀬の石でもかなり滑る |
650m二俣 |
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沢に少し変化が出てきた |
6m斜滝 |
8m滝 |
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8m滝を上から撮る |
5mナメ滝 |
830m二俣がテン場 |
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快適なテン場 |
暗くなってくる |
飲んで食べて夜はふける |
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日が差し込む沢を出発 |
左岸から4m滝で落ちる支沢 |
3m滝を高巻く |
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次の3m滝は直登 |
1,000m二俣は左俣へ |
1,070m二俣の右俣はナメ滝 |
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源頭を詰める |
栗子山三角点 |
杭甲山を目指す |
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ヤブを漕いで登る(後ろは栗子山) |
杭甲山山頂に到達 |
鞍部へ下る |
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ナギタキノ沢右俣を下降 |
ナメになる |
6m滝は巻き下った |
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沢がコンクリート水路で落ちる |
栗子隧道 |
杭甲橋 |
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大平橋 |
烏川橋 |
東栗子トンネル前に帰着 |
行動記録 |
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栗子山塊にある滑谷沢は、ネットで検索すると多くの遡行記録が見つかる。福島県の泊まりで遡行する沢としては、かなり知られているほうだろう。特に雑誌や書籍で紹介されて以降、遡行パーティーが増えたように感じる。福島登高会では1980年代に、地域研究として栗子山塊の沢についても詳細な調査を行っている。その後も会のメンバーが何度か遡行しているのだが、自分はまだ遡行したことが無かった。我が家から50キロほどと近いのにである。やっと機会が巡ってきて遡行することになった。同行者は沢登り2年目のW井さんと、自分とは4週連続となるH田の3人だ。
東栗子トンネル前の駐車スペースでW井さんと合流。他にも5〜6台の車があり県外ナンバーばかりで、1台のダッシュボード上には滑谷沢の遡行図が見えた。もしかすると今日は何パーティも入っているのかもしれない。テン場がちょっと心配になる。道路反対側の工事現場(東北中央自動車道栗子トンネル換気抗施設)の入り口がスタート地点となる。かつての登り口は東栗子トンネルのすぐ脇にあったのだが付け替えられた形だ。少し登ったところにも数台停めてあり、明らかに沢登りと思われる3人パーティーがいて登っていった。我々も準備を終えるとその後を追う。車で行けるところまで行こうかと思ったのだが、最近の情報が無かったので安全のため歩くことにしたのだ。林道のような道を登っていくと、少し荒れているが4駆なら問題ないレベルで車も通っている様子。途中で樹林の中に見える鉄塔は飯坂スキー場の名残だ。1キロ弱登ると左急カーブのところで右からバリケードで通行止めの廃道が合わせる。その廃道が万世大路と呼ばれた旧国道13号で、ここから先は旧国道跡を辿るので道幅が広くなる。久しぶりに見る二ツ小屋隧道前で3人パーティーに追いつく。隧道(ヘッデン要)を抜けたところでリーダーらしき方から声を掛けられる。3人は沢登り装備だが釣りメインでの入渓とのこと。隧道から少し歩くと烏川橋があり、その先には釣り師のものと思われる2台の車。下降して烏川に入渓。歩き始めるとすぐ左岸に釣り師と思われるオレンジのテントがある。烏川の下降は平瀬が続き、時々落ち込みがある程度で退屈なほど。右岸の所々には踏み跡もある。沢歩き1時間半とかからず滑谷沢に出合う。この出合は恰好のテン場で、既に8人ほどの釣り師グループが焚火中。昨日から入っていたのだろう。
滑谷沢に入っても穏やかな流れが続く。1〜2mの小滝がいくつかある程度。歩いていくと前方に3人の釣り師。間を置くため昼食休憩にする。沢屋と釣り師は沢の中では相反関係なのだ。20分後に歩き始めると5mのナメ滝が出てきて左岸から越える。釣り師に追いついたが、彼らはある程度釣ったようで気持ちよく先に行かせてくれた。ありがたい。ところで滑谷沢は石がとにかくよく滑り何度か転んでしまった。だから滑谷沢と言うのかと思いたくなる。出合から休憩を挟んで2時間弱で650m二俣に到着。水量は右俣の方が多い。左俣へ進んで幕営するショートルートもありだ。
右俣へ進むと沢幅が狭まり変化が出てくるが、しばらくは1〜3m程度の小滝ばかり。やがて6m斜滝が現れ左岸から越える。8m滝を左右二手に分かれて登ると、すぐ上には5mナメ滝だ。その後も6m・4m・2m・4mと続くが、スリップにさえ注意すればいずれも容易。650m二俣から1時間45分で830m奥の二俣に到着。ここには左右の沢に挟まれた部分が極上のテン場なのだが先客はいなかった。テン場を見ると焚火跡が新しいので、昨夜幕営したのだと思われる。滑谷沢は2泊3日とするパーティーが多いので、金曜から入ったのだろうと推測。我々にとってはラッキーだ。
2段になっていて整地されたようにフラットで石もない。下段は焚火用で先行者の薪が残っている。上段はタープを張るのにおあつらえ向きの木がある。W井さんは釣りへ行き、H田と2人でタープ設営と焚火の準備。夕方少し雨が降ったが30分ほどで止んだ。焚火も安定し宴会開始。野菜たっぷりの煮込みラーメンと7尾のイワナ、担いできた酒は残すところなく3人の胃に収まった。21時半ころ就寝。
5時半起床。寝心地が良くてぐっすり眠れた。自分は快眠だったが、W井さんは寒かったH田は暑かったという。とりあえず焚火をおこす。朝飯は白ご飯に昨日沢で採ったヌメリスギタケの味噌汁が美味い。8時出発、今日も快晴だ。830m奥の二俣から沢はジシカ平沢と名を変えている。890mで左岸から小滝で沢が合わせる。少し先に丸い釜の3m滝。登れないので左岸から巻く。3m滝を2つ越えると1,000mで同じくらいの水量の二俣があり左へ進む。沢は源流部となり斜度が増して高度を上げていく。1,070mの二俣は15mほどのナメ滝となっている右を登る。やがて水流は途絶え沢形も消えた。コンパスで方角を見ながら20分ほどヤブを漕ぎ、最後はGPSの助けで三角点に到達した。3週間前は山形側からヤブを漕ぎ、今日は福島側からのヤブ漕ぎだ。
さて下りだが南へ踏み跡を辿り、1,120m鞍部から東へ三本松沢左俣を下降し、滑谷沢左俣に合わせるのが合理的であり一般的のようだ。しかし、今回は鞍部からさらにヤブを漕ぎ、杭甲山を経由して鞍部からナギタキノ沢右俣を下降し、福島側の栗子隧道坑口に下りる計画とした。理由は杭甲山を踏みたかったからそれだけである。栗子山から杭甲山まで1時間半弱のうちヤブ漕ぎは約1時間だった。杭甲山の山頂は意外と平らで、昼食にしようとヤブを押し分けると小さな石柱があった。三角点にしては小さいし傷んでいるので文字も読めない。だいいち杭甲山に三角点は無い(三角点「杭甲山」は杭甲山の800mほど南にあるピーク)。なお、地元(米沢)では杭甲山のほうを栗子山と呼んでいるらしい(詳しくはこちら )。確かにすっきりとした三角形で遠くからも目立つのは杭甲山だ。栗子山と違いこちらは360度抜群の眺めである。昼食を取ってから県境尾根を鞍部に下り、左に方向を変えて下降する。やがて沢筋となり水が流れ始める。するとピンクテープが次々と出てくる。こんなところを誰がと訝しく思ったが、歩いているうちに思い出した。栗子隧道は崩落して通れないので、万世大路を辿るため山越えして福島と山形の坑口を繋ぐ歩き方をしている人がいるらしく、そのための目印のようだ。そういえば自分も9年前に似たようなことをしていた。沢の下降は特に問題なし。ナメが続くところにロープが50mほど張られていたのには驚いた。6mほどの滝を巻き下ると沢はコンクリートの水路になる。いまだに立派に機能しているこの水路は、昭和10年に作られたものと思われる。水路脇を下り栗子隧道の福島側坑口前に出る。ちょっと見学してから廃道を辿って下山だ。
山ブドウ採りで道草を食いながら、杭甲橋、大平橋と渡る。いずれも昭和10年頃の建設のようだがしっかりしていて、良質なコンクリートと丁寧な施工であったことがうかがえる。昨日の入渓点の烏川橋を通過し、栗子隧道から2時間ほどで東栗子トンネル前に帰着した。飯坂温泉八幡の湯(200円)で2日間の汗を流し帰宅した。
※補足だが、三角点は必ずしも山頂にあるわけではない。その山の最高地点から外れていることも結構ある。三角点は測量のために設置されるものであり、山頂標識ではないからだ。なので、三角点に付けられた名称(点の記の山名)と実際の山の名称は必ずしも一致していない。三角点を設置した山にはっきりとした名前が無い場合、近くの山の名前を三角点名にする場合もあるからだ。(K.Ku)
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ルート |
往路:赤 復路:青 |
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この地図は、国土地理院長の承認を得て、同院発行の電子地形図(タイル)を複製したものです。(承認番号 平29情複、 第353号)この画像をさらに複製する場合には国土地理院の長の承認が必要です。 |
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