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No.4710
長谷川右俣
木地夜鷹山・阿賀川水系
山行種別 無雪期沢登り
はせがわみぎまた 地形図

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山行期間 2012年11月10日(土)〜11日(日)
コースタイム 10日 駐車地点(15:54)→野営地(17:09)
11日 野営地(9:18)→二俣(9:40)→スラブ基部(10:23)→稜線(10:55)→木地夜鷹山(11:07,11:22)→百戸沼(12:03,12:17)→休憩(12:35,13:35)→駐車地点(14:01)
写真 写真は拡大してみることが出来ます
対岸へ渡る 緩い流れの長谷川 薄暗いなか小滝を越える
野営地に張ったタープ 鍋にナメコを投入 焚き火を見ていると時間を忘れる
野営地の朝 二俣を右へ 稜線下のスラブが見えてくる
スラブを登る@ スラブを登るA 曇っているのが残念な紅葉
右は福島県で左が新潟県 木地夜鷹山の山頂 キツネモドシ
すぐ北側の夜鷹山 北東の麓に百戸沼らしき水面が見える 南西方向には小さく会津朝日岳や丸山岳が見えた
東へと尾根を下る 落ち葉の斜面はよく滑る 干上がった百戸沼かと思ったが本物はその先にある
百戸沼 自然環境保全地域に指定されている 落ちていた百戸沼への案内板
百戸沢を何度も渡る 美味しそうなナメコ 見事な黄葉の中を歩く

行動記録
 10日午前中に所用のあった自分は、自宅を出たのが午後1時40分頃となった。他の2名は先行しているので、そろそろ遡行を開始する頃だろう。西会津インターを降り、国道49号から400号(西方街道)を南進する。落合集落の終わりにある橋を渡ってすぐ右折し、長谷川沿いの舗装路を上流へと進んでいく。やがて数戸しかない大滝集落を過ぎると、舗装路は左へカーブし長谷川を渡るが、そのまま真っ直ぐ長谷川の左岸沿いの未舗装路へ入り、車1台の幅しかない道をしばらく進む。長谷川に架かる橋を渡り今度は右岸を進むと、右側のスペースにYさんの車があったので並んで止める。雨がポツポツと降っているので上下雨具を着て準備を済ませ、出発した時は既に午後3時54分になっていた。
 車の轍のある右岸の道を200mほど歩くと行き止まりになるが、沢を対岸に渡ると踏み跡程度の細い道が続いている。この道は木地夜鷹山の麓にある百戸沼まで続いているようで、明日下山してくる道でもある。そのまま左岸を沢沿いに歩き、道が沢を離れ始めたあたりで沢に降りる。穏やかな流れを歩いていくと、倒木にムキタケを見つけたので今夜の鍋用にいただく。もう少し採りたかったが、暗くなるので先を急ぐことにする。右に左に曲がりはするが平坦な沢を歩いているうちに、辺りは徐々に薄暗くなってくる。この時期の日は短いが、曇り空の山中はなおさら暗くなるのが早い。ヘッデン行動も覚悟していたが、案の定お世話になりそうだ。ひとり沢を歩いていると少々心細い思いだが、Sさんたちが積んでくれたと思われるケルンを見つけホッとする。やがて2〜3mほどの小滝が現れ、薄暗いうえに滑りやすい岩なので慎重に登る。小滝を幾つか越えた辺りでヘッデンを点けるが、遡行スピードはガクンと落ちる。ヘッデンで照らしての滝登りは数箇所で終わり、また緩い流れに戻ると焚き火の匂いがすることに気づく。野営地が近づいてきたようだ。
 先行した2人のヘッデンの灯りが迎えてくれる。野営地は支沢との二俣580m地点だ。増水すれば逃げなければならないような場所だが、大雨にでもならない限り大丈夫だろう。既に2人はタープの下で鍋の準備を始めていた。期待していた焚き火だが、いったん火をつけたものの雨が降ってきたので断念し、タープの下で宴会をすることにしたという。焚き火で暖まりたかったが仕方ない、鍋と酒で中から暖めることにしよう。Yさん担当で作り始めていた鍋は寄せ鍋風だが、自分が昨日採って大量に持ってきたナメコ・エノキタケ・ムキタケを投入しキノコ鍋にする。吐く息が白くなるほど気温が下がってきたが、熱い鍋が体にしみるように美味い。そのうち雨があがり満天の星空になってきた。よし焚き火だとばかりに火を起こす。濡れた枝しかないが、上手く火をつければ盛大な焚き火をすることが出来る。各自思い思いに焚き火の周りに陣取り、キノコ鍋とお湯割りの焼酎やウイスキーで話が盛り上がり夜は更けていく。沢納めに相応しい夜となり、寝たのは午後11時を過ぎていた。
 ゆっくりと7時頃に起きる。昨夜はタープの下でシュラフに潜り込んだだけで寝たのだが、しっかり着込んだので寒さは感じなかった。昨夜の残りの汁でキノコうどんを作り食べる。沢を登ってくる途中で採ったものも含め、2キロ以上あったキノコもすべて3人で平らげてしまったことに我ながら驚く。片づけ焚き火の始末をして出発したのは午前9時18分になったが、今日の行程は短いので問題ない。615mの二俣を右へ進むと、徐々に枝が被るようになりうるさい。水が細くなり勾配が増して源頭部の様相になる。右からの支沢を見送り稜線方向を目指す。その後も左右から細い支沢を合わせるが、いずれを登っても稜線のスラブに到達するだろう。岩をよじ登るようになると、やがて水が途絶えスラブが見えてきた。始めはブッシュ頼りに登るが、岩が好きなSさんはスラブの露岩を登っていく。フリクションはあるのだが、自分が履いてきた沢靴はフェルトの硬いタイプで足裏感覚に乏しく、怖々と腰の引けた登攀を続ける。ラバーソールのSさんはスイスイ登り、フェルトソールのYさんにも置いて行かれてしまう。途中でひと息ついて周囲の山々を眺める。紅葉はピークを過ぎつつあるが、曇りで色が冴えないのが残念だ。最後は10分ほどのヤブこぎで稜線に出る。結局ロープの出番はなかった。
 この稜線はその昔、会津と越後国の国境であり、現在は福島県と新潟県の県境となっている。何となく薄っすらと踏み跡のある、両側が切れ落ちた細尾根を北へ進むと木地夜鷹山の山頂だ。すぐ西側にはキツネモドシと呼ばれる急峻なスラブが見える。この会越国境の山々は山肌が急峻なスラブになっていて、標高は低くても容易に人が入り込める山域ではなく、そこがまた魅力ともなっている。晴れていれば見えるであろう飯豊連峰の稜線も、今日は見えないのが残念だ。北東方向の下に目をやると小さく水面が見えるが、あれが百戸沼なのかもしれない。
 下山は東に下る踏み跡をたどる。しばらくは踏み跡があり、ところどころに赤テープもあるが、やがて踏み跡は落ち葉の下になりわからなくなる。赤テープもまちまちで、1本のルートを示しているようにも見えず、やがてそれも見失ってしまう。木地夜鷹山は明瞭な道の無い山であり、山頂直下以外は人それぞれに歩いていると思われ、赤テープもそれぞれ下山の目印に付けているようで、赤テープを追えば良いというものでもなさそうだ。濡れた落ち葉と沢靴の相性は悪く、滑っては何度も尻餅をついてしまう。我々は百戸沼へダイレクトに向かう方向へ、急斜面を下ることにした。百戸沼周辺にはその昔、鉱山があり百戸もの家があったのでその名前になったといわれる。しかし今となっては何もなく、栄華を忍ぶよすがもない。他の記録では百戸沼のすぐ西側の低地を、干上がった百戸沼と誤認している例が見受けられる。我々も当初そう考えていたが、実はすぐ東に百戸沼があるのだ。木々が邪魔をしているが、よく見れば水面が見える。
 百戸沼からは沢沿いに踏み跡程度の道が続く。百戸沢と呼ぶらしき沢を何度も横切るので、長靴が欲しくなるような道だが、沢靴の我々には関係ない。途中で「百戸の会」というプレートが落ちているのを見つける。百戸沼までの道を細々と刈り払いし、かろうじて道として保っているのは、もしかするとこの会かもしれないと思う。刈り払いされず歩く人もいなくなれば、たちまち山に戻ってしまうだろう。途中でキノコを見つけたので、休憩も兼ねてナメコ採りを楽しむと1時間も過ごしてしまう。それでも駐車地点には、午後2時に到着することが出来た。(K.K)

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