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No.4786
男鹿岳 1777.1m三等三角点峰
山行種別 無雪期一般
おがだけ 地形図

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山行期間 2013年5月19日(日)
コースタイム 釜沢橋(6:24)→オーガ沢橋(7:46)→男鹿沢橋(8:16)→男鹿峠(9:04)→栗石山(11:05)→男鹿岳(11:50)→栗石山(12:18,12:26)→大川峠(13:03)→男鹿沢橋(13:58)→オーガ沢橋(14:24)→釜沢橋(15:31)
写真 写真は拡大して見ることが出来ます
通行止めの看板 最初のうちの県道はまずまず 土砂崩れで塞がれた県道
川原のようになった県道 オーガ沢橋 男鹿沢橋
白糸橋 男鹿峠 男鹿峠からの取付点
県境の杭 栗石山山頂 新しい栗石山の名板
栗石山から見た男鹿岳 カモシカと出会う 男鹿岳山頂直下
男鹿岳山頂の様子 男鹿岳山頂の名板 大佐飛山か?

行動記録
 会津百名山も残り僅かであるが、足踏みが続いていた。男鹿岳も思い立ってから3年経過してしまった。原因は片道8Km近くあるアプローチである。我が会の記録では、今から27年前に男鹿沢遡行、オーガ沢下降の際に男鹿岳へ登った記録が残っているだけだ。沢から攻めるのも方法と考えたが、素直に歩くしか無いと決断しK君と前夜テント泊とした。
 登るにあたりネットで検索するとやたらに記録がある。平成16年に栃木県の下野新聞社により栃木百名山に選定されたのがどうやら原因らしく、ネット上でそれほどの入山者があるとすれば記録に無い入山者はかなりの数と思われる。ネットの記録では大川林道、大川峠などの名称が多用されているが、それは栃木県側の呼称であると考えられる。あくまでもアプローチは福島県側あるので、福島県側の名称で表記する。
 ちょっと歴史をひもとくと最初に栗生沢集落から、昭和38年から昭和41年にかけて林道開設事業、男鹿岳線として福島県営事業で開設され、維持管理主体として昔の田島町に移管された。その後、昭和47年に田島町で林道から町道男鹿岳線として編入さ、さらにその後平成8年に県道黒磯・田島線に昇格して維持管理主体が福島県となった経緯がある。その維持管理費が大変なこともあり通行止めの措置がとられている。県道となった頃は男鹿峠まで車による通行が可能であった。平成12年頃、私は南会津地方勤務で峠まで行った記憶がある。
 前段はこのくらいにして本題に進める。早朝テント撤収して歩き始める。最初のうちは何故交通止めなのだ。アスフャルト舗装で大丈夫ではないかなどと思いながら進んで行くと、その形相は変化してくる。法面の崩落、路面の洗掘、路肩決壊と災害跡地のようである。これでは維持管理費がかかってしょうが無いと納得。
 釜沢橋を歩き始めて2時間半、予定時間通り男鹿峠に到着する。 休みもそこそこに尾根へと取り付く。驚いたことは、踏み跡どころか登山道と言ってよいほど道型がはっきりしている。相当な入山者がいるのだと思われる。笹藪がうるさくなった所でも足下をみると踏み跡が分かる。さらに色とりどりのテープ類、赤布が行く手を導いてくれる。
 標高1600m付近からは雪上の登高となった。先日5月5日に栃木県の方が滑落して遭難、翌日県警ヘリにより救助のニュースを知っていたので、アイゼン、ピッケルは用意してきたが、雪が腐っておりそのまま登ることにした。予定時間で1701mピークに到着するが、誰が名付けたか栗石山となっているみたいで山頂には名板がある。ピークより鞍部へくだり再度登りとなるが、尾根筋ではなく斜面の登りである。テープ類が導いてくれて問題なく登っていける。
 予定より若干の遅れとなったが11時50分、男鹿岳山頂にタッチする。三角点は雪の下で分からないが、名板がやたらある。これでやっと難物を終えたと思ったが帰路は長い。風も強く早々に山頂を後にした。栗石山でランチタイムとし、男鹿峠から道路沿いに芽吹いているウドを採りながら帰路についた。(S.O)

概念図

トラック 登り=赤 下り=青


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